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御巣鷹山の悲劇
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鷹富士さまへ 箇条書き的にパラパラと。 >斜め衝撃を二段階経過して前向き加速度を生じます。 衝突形態があのようであっても、前向きの力が発生するものと捉えました。見解伺え、心強く感じます。 (一般的に衝突説を唱える方は後方からの衝突ゆえ、前向きの力が発生としているようです) この前向きの力の話は、事故を語る上で最も重要な項目の一つでしょう。これについて、鷹富士さまの考察、改めての計算を伺いたく存じます。 >DFDRから経路図を作るには、適度の間隔で、HDG,TAS,PCHから速度ベクトルを計算して積算します。積分ではないから連続した曲線は得られません。 井上氏が飛行経路の作図をした際、刻みが1分で、中間を適当な曲線で繋いだのか、それとももう少し細かく見ていたのかは分からないように思います。ただ、墜落直前は、右旋回でのループ飛行ではなく左旋回でから松へ といったコースとしていたようですので、そのようになっているDFDRのデータがあったのかどうかが争点となりそうに思います。 >キャプテンレポートの内容を具体的に示してもらえませんか? ソースの大元は、事故後1週間ほどでNHKで放送された番組「尾翼に何が起きたか」となるのでしょうが、まずはyoutubeでワタナベケンタロウさまの動画131をご覧頂くのが手っ取り早いかと。 羽田離陸後は左旋回(これは後日版の新聞にもあり)で、木更津は経由していません。また、座間ポイントは、座間市にはありません。 機長が航空路図にも経路を記入していましたが、自分がこれを確認したところ、最接近時の123便側の位置は、石老山付近となる作図であると判断しました。 >小松便機長が日航機を最初に見たのは、40分頃と推測しています。 123便側の動きをみて判断するのではなく、純粋に小松便の動きのみをみて、離陸後何分で座間ポイントに至るのか というのが問われているように思います。ちなみにですが、新聞では離陸は18:30、事故調報告書ではそれが31分となっています。 >角田氏は倉岳山に隠れた、と述べていますが、倉岳山は富士山のような孤峰ではないから、これに隠れることはありえず、彼の錯覚または記憶違いです。 地形的に川の近くで、そのあたりに木が合ったしたとすれば、遠くのものでなく、近くの障害物の方が見通しに大きく影響していた可能性が大きいように思える地形であるようには感じます。 以下、資料2枚 https://imepic.jp/20240605/635960 https://imepic.jp/20240605/635961 . > 斜め衝撃を二段階経過して前向き加速度を生じます。 > DFDRから経路図を作るには、適度の間隔で、HDG,TAS,PCHから速度ベクトルを計算して積算します。積分ではないから連続した曲線は得られません。 > 井上氏の経路図では、55分30秒で墜落し、1分ほど停止。横風修正前は、実際よりも35km北で墜落。 > キャプテンレポートの内容を具体的に示してもらえませんか? > 0603/464290の図では、羽田から座間ポイントまで直線的に結んでいますが、旅客機はこのようなコースを飛ぶことはできません。 > 小松便機長が日航機を最初に見たのは、40分頃と推測しています。 > 角田氏は倉岳山に隠れた、と述べていますが、倉岳山は富士山のような孤峰ではないから、これに隠れることはありえず、彼の錯覚または記憶違いです。
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