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御巣鷹山の悲劇
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管理人さま いつもありがとうございます 自分の至らなさを感じています > 吉岡忍さんの『墜落の夏』には次のような順序で記されているはずですが・・・ 吉岡さんの著作に富士山東を飛行した 記述はないと認識してましたが、記述が あるんですね 恥ずかしながら初めて知りました > 全員が救命胴衣をつけ終わるまでに五、六分かかりました。つけ終わっ方は、となりの方を手伝ったりしていました。 > 揺れはいっそう大きくなりました。もう立っていることはできないほどです。救命胴衣をつけ終わってすぐに、ほとんどいっせいに安全姿勢をとりました。 > 私は「56C」にもどりました。 > そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。 落合さんが富士山を見たのが18時37分 くらいとすると、ライフベストを着用 したのは18時30-36分くらいかと 思われます 遺書の18時30分の降下から富士宮に 上昇するまでの区間における、高度の 乱高下とダッチロールが、機体の 大きな揺れを招いたと思います 航跡がS字になっている箇所、これは ダッチロールそのものだと思います ライフベストと安全姿勢、、、 墜落が前提となる安全対策ですね セットで考えるべきでしょうね 酸素マスクをピーンと引っ張って ライフベスト着用で安全姿勢、、、、 これが18時30分から増えていき 18時37分くらいに富士山を東に 見た時刻くらいに墜落への備えが 完成、、、 逆にその18時37分くらいには 酸素はなくなりかけていた、、、 時間的に、こんな感じでしょうか 以上、私の航跡図に落合さんの証言を 当てはめてみましたが、時間的に これと言った大きな矛盾も なかったかと思います いかがでしょうか?
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