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御巣鷹山の悲劇
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ワタナベケンタロウ動画でも、擬装機体 や、747SRにリモートコントロール、 入間基地上空で目撃、埼玉県内 三芳町 (目撃者さえ、否定して仕舞う)での 目撃に懐疑的であり、乗り越えるべき 課題だと思います。 自転車屋の谷氏の話が出て来ますが、 田中氏の執拗な(?) 追求により、 発言の責任を感じて、輸送機か? 何にか?だと思われる気持ちも 分かります。 擬装機体の存在を認識出来無い為に、 埼玉県内への、時間が掛かる進入 を認められ無いのも当然です。 実際ワタナベケンタロウ動画も 擬装機体を123便とし検証 に力を入れてます。 擬装機体の横田空域在空 18:40〜45 123便の横田空域在空 18:44〜48 埼玉県反転説も再考の余地が在ります。 東京ACC 18:45レーダーで、座間市北東 33km、高度15000フィート(4572m) を確認。 木を観て、森を見ずの状態です。 曇り眼鏡を拭いて、クリアーな視界 で、目撃証言を精査する必要性があり ます。 横田管制が123便に横田基地への着陸を 許可するのを聞いた。123便の緊急事態は 相当に深刻で、当該乗員は米軍基地への、 着陸を希望したのだった。 アントヌッチ氏の証言 1985年8月12日付のテキサス州の新聞 『Big Spring Herald』によると 東京AP通信より 「横田基地の複数の米職員によると、 パイロットは緊急着性許可を要求し 許可を得たという。 8月13日付のブラジルの新聞 Diário do Pará紙 共同通信によると、客室乗務員は 機体の左後部ドアに問題があり、 米空軍横田基地への緊急着陸を 試みると無線連絡した。 1985年8月14日付の 『Pacific Stars and Stripes』 1面によると 月曜日、524人を乗せた日航ジャンボ機 は、横田基地への緊急着隆を試みると 報告したあと、日本中部の険しい 山中に墜落した。 東京ACC管制部は、東京都福生市の アメリカ極東空軍・横田米軍基地に 協力要請。直ちに、横田基地の滑走路を 空け、消防・救急を待機させると同時に、 岩国海兵隊基地から横田基地に向かって いたC130HH輸送機に123便のサーチ・ アンド・レスキュー(捜索・救助)を 要請し、18:45準備完了しました。 18:44:06 えー、相模湖まで来てます 横田へのレーダー誘導を要求 (JAL123) 18:44:09 了解、了解 滑走路36 磁方位90度 を維持して下さい (APC) 18:44:12 了解 (JAL123) コックピットのクルーに安堵感が 広がったに違いありませんが、 油断した隙にレフトターン させられて仕舞い… 18:44:16 「あー、あああー」 (CAP) 18:44:33 「これは駄目かも分からんね」(CAP) 機長の不安を感じられます。 レーダー誘導で、横田基地南南東の ポイントYUMIで3000フィート (914m)の地点で、レフトターン から滑走路進入する予定でした。 18:46着陸予定 あの日私の誕生日なので、良く覚えて います。 町の南側に有る今熊山 (東京都八王子市美山町)の方向から 大きな飛行機が現れ北北東の方向へ、 ゆっくり飛んでいた。五日市高校の 上空辺りを、飛び日の出町方向の山へ 消えました。 時間は午後6時45分 頃の20から30秒間です」 (角田 四郎氏の取材で南澤 輝明氏の証言) 村上 良平氏(43)遺書 18・45 機体は水平で安定して 酸素が少ない気分が悪るい 機内よりがんばろうの声がする 機体がどうなったかのかわからない 18・46 着陸が心配だ スチュワーデスは冷せいだ 「フラップどうしましょうか?」 (F/E) 「未だ一寸、早い」 (CAP) 「ギヤ降りてますか?」 (CAP) 「ギヤ降りてます」 (COP) 横田管制が、123便に着陸を許可 するのを聞いた。 (マイケル•アントヌッチ 氏証言) 北側滑走路への進入(市街地) 2、3回目のトライ 日の出町でライトターンして、 横田基地の、北側KATANAポイント 上空を、3000フィートでライトターン して、進入の予定でしたが、機体を右に 傾けられず、操縦不能を叫ぶ事になります。 横田基地に2回目の着陸を、北側から 行おうとして、右旋回から最終着陸体制 に入ったが操作が出来ずAPCに通報します。 18:45:46 「操縦不能になった」JAL123 事故当日のCBC JNNニュース ニュースデスク 田畑 光永アナウンサー https://youtu.be/wbgzosxu2cU 右旋回出来ずに、真っ直ぐ飛んで 入間基地で、ライトターンを行います。
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