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御巣鷹山の悲劇
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資料の読み直ししました。 異常の発生は、矢張り2回です。 8/13の証言 デコンプレッション (減圧)があった。 ボーンと音がした。 藤岡市の多野総合病院に搬送されてから1時間も経たない午後3時過ぎ、事故調査官に語った証言。 8/14の証言は 午後6時25分ごろ「バーン」という音が上のほうでした。そして耳が痛くなった。ドアが飛んだかどうかわからない。 日航の重役から見舞いを受けた際に。 注釈 異常は隔壁では無く上からしている。 10/16の証言で バーンという音がしたあと、自分の座席から三席前の左上部で板が外れ、ぶら下がった形になった。 機内はパニックの状態、「キャー」 と言う悲鳴や子供達の「お母さん」 と叫ぶ声で一杯になった。 回復後は、できれば元の職場に戻りたい。 藤岡市の多野総合病院で報道関係者との 直接インタビューの際の証言。 1986年の証言 水平飛行に移るかなというとき、「パ-ン」という、かなり大きい音がしました。テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。「バーン」ではなくて、高めの「パーン」です。急減圧がなくても,耳を押さえたくなるような、すごく響く音。前ぶれのような異常は、まったく何も感じませんでした。 音は、私のちょっとうしろの天井のあたりからしたように感じましたが、そこだけでなく全体的に広がったように思います。私は思わず天井を見上げました。しかし、振動はまったく感じませんでした。機体も揺れなかった。 お客様からは、「うわっ」という声がした。女の人だと、「きゃっ」という、一瞬、喉に詰まったような声。騒がしくなるとか、悲鳴があがるということはありませんでした。 やはり*「パーン」という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。かなり濃くて、前の方が、うっすらとしか見えないほどです。 私の席のすぐ前は、それほど濃くはなかったのですが、もっと前の座席番号「47」「48」あたりのところが濃かったように見えました。ふと見ると、前方スクリーンの左側通路にスチュワーデスが立っていたのですが、その姿がボヤ-ッと見えるだけでした。 その霧のようなものは、数秒で消えました。酸素マスクをして、ぱっと見たときには、もうありませんでした。白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした。すっと消えた、という感じだったのです。 ⚫️ 8/14の証言は18:24 1986版の証言の最初 午後6時25分頃「バーン」という 音が上のほうでした。 ⚫️ 8/13、10/16の証言は18:25 1986年の証言のやはり*「パーン」 (ボーン) という音と同時に•••、からは18:25 デコンプレッション(減圧)があった。 ボーンと音がした。 時計を見た18:25だった。 *「やはり」、次にの意味でしょう。 川上 慶子氏親族、身内証言 18:25 続いて「メリメリ」、「ガリガリ」 という金属音が聞こえました。 川上 慶子氏 決定的なのは、乗客の対応です。 1986版の証言 18:24 お客様からは、「うわっ」という声がした。女の人だと、「きゃっ」という、一瞬、喉に詰まったような声。騒がしくなるとか、悲鳴があがるということはありませんでした。 10/16の証言 18:25〜 機内はパニックの状態、「キャー」 と言う悲鳴や子供達の「お母さん」 と叫ぶ声で一杯になった。 補足します。 タクシー運転手の、近持 芳太郎氏 (58)は、 同僚と河津町駅前ベンチで、 休憩中に海側の北東上空で、雷のような ボーンと、言う音を聞きます。 「旋回の傾きは、九十度に近く乗客は、 パニック状態になるのではと思った」 18:25:13 ライトターン ライトターン バンクそんな、そんなに はい バンクそんなにとるな、馬鹿 はい 大島に向けての大右旋回が、リモート コントロールで、カットされた為に、 45度止まりになったと思われます。 纏め 1824 パーン(衝撃波) 1825 ボーン、メリメリ、ガリガリ (衝突音、引摺り音) 詰りボイスレコーダーには、異常な音が、1つしか残されて無いと言う事です。 日航123便の残骸について1985年9月20日号の週間ポスト。 この金属片には白い塗装と赤がかったオレンジ色の塗装が地上を引き摺った様に付いている。 そして不思議な事に、これには1箇所に集められた日航機の他の残骸と違い、機体の位置を示す荷札もついていない。 当初は後部胴体の外板の一部かもしれないと思ったが、日航機はオレンジ色を使用していないという。
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