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御巣鷹山の悲劇
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ワタナベケンタロウさまへ 一休さんの話の舞台は京都だったでしょうか? 言葉での表現と真意との乖離が大きくその読取りを誤れば分別のわからぬ人物と解されても仕方のない土地柄かもしれません。 鷹富士さまとのやり取り、作麼生(そもさん) 説破 のような問答ということもないのでしょうが、途中私の名も出ていたようですので、この文を書かせて頂きます。 本掲示板で提示した資料等 鷹富士さまにおかれましても私の見解同様か、出どころ、名前を明記すれば引用は差支えないものと読み取れます。 さすればと安易に転載、利用しては 「ただし、先の経路図は投稿した際の説明文と一体で扱うべきもので、図だけを切り離して引用されるのは適切とは思いません」 との意向を無視するかたちとなり無粋というもの。 また 鷹富士さまは 「私が意見を述べる所から始めるのが本筋」 とも書かれておりましたが、全くの正論ではあるものの、今後投稿を控えようかというお方にそこから始めるというのも気が咎めるところもあろうかと。 利用目的の説明は行ったということでその部分へのフォローとなるかどうか。 使用は拒否しないとしつつも、図だけを切り離しての引用は不適切とあり、それを受け、図と合わせての取扱いとすれば問題解決 と思いきや肝心の説明部分は削除済みであると。 困った事態ではあるものの 「引用を拒否しない」との言葉尻りを捉えての強引な利用としないのは そこは常識ある大人の判断。 遠まわしのお断りか といったところでしょうが、作図の手法も説明したうえでの図の利用であれば鷹富士さまのご意向に反することにはならないとも理解できるかと。 >肝心のことは、DFDRのデータからどのように計算して経路図を描くか、というプロセスで、これを理解していただかないと意味がありません。 結果部分だけ都合よく利用するのをヨシとしないというのは苦労をして作成した側からすれば充分に理解できることかと思われ。プロセス、途中の過程部分が肝心とするのも同様。 数学のテストでも、たとえ答えの数字部分が合っていたとしても、途中の計算式の部分を消去してしまっては値打ちも消え去ってしまうというもの。 何やら頓智問答のような話だったようにも思えはしたものの、要するに作図手法も説明したうえで鷹富士さまによる図として利用すれば万事解決のはず。 あとは強い精神、マインドをもって説明部分をお念仏よろしくスラスラと唱え上げられるか? といったところ。 読経は満点とばかりにしかと読み上げ、「御見事 説破」となりますかどうか・・・ 出来てきます動画 まがい物にてお茶を濁すか、それとも鷹富士さま謹製の極上の航跡を用いて一級品となりますかどうかは すべてはここ次第。 (プロセス、途中の過程部分が肝心とするならば、それそのものであろうログを削除するという行為の意味が?)
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