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御巣鷹山の悲劇
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> 文字通り操縦不能であれば機長の「コントロールとれ右」は意味不明です。 操縦を放棄していないことをもって機体が制御下にあったというように捉えるのは非常に違和感があります。 考察すべきはDFDRです。 操縦可能説を唱える方に共通しているのは、航空機の3軸周りの挙動と相互の関係をまったく理解していない、あるいは、理解しようとしないことです。コツコツと勉強を積み重ねて基礎的理解を深めようとしないのはなぜでしょうか? 管理人さん、悪いですけど、貴方にもこの傾向が当てはまります。 文字どおり機体自体が操縦不能の状態になったとして、パイロットは生身の人間としてその状態を冷徹に受け入れられるのですか? 過去に事例のない異常事態に接して、パイロットは、操縦不能だからといって、じゃあ、操縦桿から手を離そう、というように躊躇いなく必ず決断できるものなのですか? 操縦桿にしがみついて、少しでも反応してくれと願う、あるいは少しは反応していると信じたい、と思うのはパイロットの心理として別におかしくはないと思いますが。 機械が操縦不能であることと、それを瞬時に受け入れて操縦を放棄することは著しい隔たりがあると私は思います。 操縦可能説を唱えるなら、DFDRに基づき、機体が(一定程度)制御できていたことを示す必要があるでしょう。 そのときパイロットがなぜそのようにしたのか、言ったのかは、他人からは分からないこと。 もっと極端に言えば、本人さえも分からないかもしれないのです。 DFDRを考察の基礎とすべきでしょう。
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