「遭難者慰霊式典」の開催について

  • 投稿No.3051
  • 投稿者: 8.12連絡会 事故調査 分科会 会長 遺族 小田周二
  • 投稿日:2023-11-12 21:26:36

  「乗客乗員 520名は 慰霊の園で、「遭難者」として 慰霊されている !!

  日航123便は 1985.8.12 相模湾上空で 自衛隊標的機に激突され、垂直尾翼と重要な油圧配管を破壊され、操縦不能に陥った。
  ここから、乗客乗員は 30分以上、操縦不能の機体の揺れに振り回され、極度の恐怖を体験し味わいながら、シートベルトに固定され、声も出せず、沈黙のまま、この恐ろしい体験に耐えていた。
  然し、機長の機転で 操縦出来た日航機は横田基地飛行場に着陸を考えたが、自衛隊は許さず、禁止して、川上村へ向かって、飛行し、不時着を敢行したが、着陸が出来ず、復航飛行して 
  三国山を左に旋回、上昇して、衝突を回避して、上野村に入った。

  然し、この機会を逃さず、自衛隊は 至近距離から ミサイルで『第4エンジン』を攻撃し停止させ、更にこの衝撃で 18:55:45 重要な「水平尾翼」が破壊脱落して、完全な操縦不能になった。
  然し 事故機は 機長らは 機体のバランスを取りながら、必死の飛行を行ったが、機体は 高度1500mの飛行と 旋回飛行が出来ずに 平坦な陸地を探して、飛行を行った。
  この途中に上野村の上空を飛行し、御巣鷹方向に飛行し、(一本松)(U字溝)を経由して、1600㎥もある(御巣鷹の尾根)に向かって飛行し、然し これを避けるための旋回、上昇飛行が出来ず、激突して 墜落した。(18:56:30 )

  この間、30分以上 400km以上も飛行したが、シートベルトに固定拘束されて  機体の旋回、急上昇、急降下飛行など 機体は大きく揺れて、墜落の恐怖が乗客を苦しめたのだ。

  高速で山に激突して巨大な衝撃で 乗客、乗員は分解され、切断させ、手足が 分離し、高い樹木に引っ掛かり、又 多くは 火炎放射器で焼死し、又毒液で殺され、見分けも困難であった。

  完全遺体は 後部座席の100名位で、残りは殆ど バラバラ遺体であった。然し、元気に飛び回る乗客も見つけられたとの報告があったが 急に 姿が消えたとの報告もあった。

  小田浩二、陽子の遺体は 包帯でぐるぐる巻きにされて、顔と足の一部しかが見えない姿が 棺桶の中で、 親を待っていたのだ。 夜の体育館での 哀しい対面であった。
   小学校6年生の陽子と高校1年生の浩二の最後の無残な姿であった。

  2日後 現地で荼毘に付し、車で 東京の社宅に帰った。 骨は途中まで 暖かかった。
  多くの学生の友人が 葬儀で送ってくれた。

  そして、国は 事件で死亡した乗客、乗員520名の犠牲者を 「遭難者」として 毎年 慰霊式典を開催し、決して、「犠牲者」とは 言わなかったのだ。

  これが「遭難者 慰霊式典」の命名が 遺族を苦しめたのだ。
  遺族の抗議にも 慰霊の園の理事長は 頑として拒否し、そして付け加えて 遺族に言った言葉が「過去から 現在まで そうして 命名して来た」と嘯いたのだ。

  現在も 慰霊の園で 又日航の羽田で 『隔壁破壊説』が 生きており、国は 司法が否定し 技術的にも成立しない偽説を 説明して、遺族、国民を騙し、洗脳を行っている。

  中曾根総理、自衛隊の虐殺犯罪を隠し隠蔽するために,乗客乗員の証人を口封じし、消し去り、証拠の標的機の残骸の隠蔽を図って来た。

  これが 主権者の市民を虐殺する、日本の権力者、自衛隊の真実の姿であるのだ。
  日本には 民主主義は 存在しない。 ただ 不自由な権力主義しかないのだ。

  これを 貴方方は この乗客の虐殺行為と航空局、群馬県警、日航、米国FAA,NTSB、ボーイング社の隠蔽行為を 許しますか ?
  

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