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御巣鷹山の悲劇
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> 「まあ、あれだけしょっちゅう近くなんかに行ってね、わらびだの何だのを毎年のように探してたのに、あんな大きな部品が目に入ってこなかったっていうのは不思議だけども、結構(山肌が)崩れてたしなぁ。かなり上の方から落っこちてきたのかもしれねぇなぁ」 > 自らが発見できた理由についてそう推測するTさん。しかし彼の発見は、その後、意外な形で、闇へと葬り去られることとなる。 > 多くの尊い命を奪い、全国民を悲嘆のドン底へと突き落とすこととなった日航ジャンボ機墜落事故。しかし、発生から多くの時が流れ、時代も昭和から平成へと遷りかわり、それに伴う形で、多くの世人から「過去のもの」とされつつあった。そんな中、ひとりの農夫により発見されたその“痕跡”。もしかすると事故原因を究明する上で、貴重な手がかりとなったかもしれないそれは、その後、発見者であるTさんですらも思いもよらない形で、彼の前から姿を消すこととなる――。 > ■脅迫めいた謎の電話 > 「近所の連中や駐在さんを連れて山に行ったあと、2日3日経ってから、町の方の警察の人が来たりしてさ。しばらく賑やかな感じになっていたんだけども、(発見から)1週間くらいした頃かな。電話がかかってきたのさ。こんな田舎なもんで、電話なんてかけてくる家はあんまりないこって、東京にいる子どもらにでも何かあったんかと思ってとってみたらさ、知らない男でさ。“見つけたもんはさっさと忘れろ、もうこれ以上誰にも言うな”だなんて言い出すの。なんだこいつは、って思ったけどさ、その話しぶりがね、脅すような感じだったもんだからさ、怖くなってね。それからは黙ることにしたっていう」 > 件のジャンボ機から落下したと思しき機体の一部を見つけたTさん宅に、いきなりかかってきたという謎の電話。そのただならぬ気配に怯えた彼は、その後、なるべく早く自らの発見を忘れるように心がけたという。また、そうしたある種の「脅し」ともとれる“見えない力”は、集落全体にも及んでいた。 > 「最初に電話かかってきたときにさ、近所の連中にも聞いてみたら、同じような電話がかかってきたってみんな言うもんでさ。これはきっと偉い人が、命令してかけさせてるんだろうっていう話になったもんだからね。みんなで話し合って、さっさと忘れようって。そりゃあ、気になるよ? 気になるけどもさ、俺を含めた年寄り連中はいいけども、子どもや孫だっているわけだからね。そういうのを考えたら、見なかったことにしちゃうっていうのが賢いだろうってさ」 > それ以来、Tさんによる発見は、集落全体としても『なかったこと』にされ、いつしか誰も口に出さないようになっていたという。だが、仮にそうだとするならば、問題の部品は、今なお、Tさん宅の裏山にあるということになるのだが…。 > ■自衛隊? 不審なトラック何台も > 「あれは(謎の電話があってから)、半月くらい経った頃かな…いや、10日くらいのもんか。明け方にね、あまり見ないようなトラックが何台も止まってる日があってさ。近所の連中が言うには、ありゃあ自衛隊のトラックで、御殿場から来てるんだよ、なんていう話だったんだけどもさ。俺もね、変だなと思ったけども、厄介なことに首つっこみたくはないから、そのまま畑に出てね。8時くらいに戻った頃にはもういなくなってたよ」 > 謎の電話からしばらくたった後、目撃された複数台の不審なトラック。後日、Tさんが「あの日」と同じように、貯水タンクの確認のため山に登った際、既に部品と思しき発見物は姿を消していたという。こうした話から推測すれば、Tさんらによって目撃されたトラックは、「回収」のために現場を訪れていた可能性が高いと見るべきであろう。深夜から早朝にかけて回収作業を行ったと考えれば、午前8時過ぎには彼らが姿を消していたというのも合点がいく。 > 「まあ、それこそ竹薮3億円じゃないけども、札束でも見つけたのなら人生の楽しみにもなるだろうけどさ。あんなもん見つけたって何ひとついいことなんかありゃしないよ。どの道、俺なんて生きたってあと何年かだろうから、どっちにしたって構いやしないけどもさ(苦笑)」 > 1985年8月の事故発生から、今年で30年目を迎える『日本航空ジャンボ機墜落事故』。遺族や一部の大手メディアの間からは、未だにその真相が究明できていないという声も少なくないが、どうやらそうした真相を覆い隠す闇は、思いのほか、巨大なものであるようだ。 > (文=戸叶和男)参照元 : TOCANA
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