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御巣鷹山の悲劇
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> 1985年8月12日18時12分、日航123便は羽田空港を離陸、18時21分頃、伊豆大島の北、相模湾上空に達した。 > この時、相模湾で試運航中の護衛艦[まつゆき]が、レーダーの性能テストのために無人機を飛ばしていた。(No.2600の[角田四郎著=疑惑]を参照) > 機長は右斜め前方遠くに不審な飛翔体を視認、一旦消したベルト装着サインを再点灯、操縦士の声に緊急度が高まる。 > 18時24分35秒、飛翔体が123便の垂直尾翼の上端に衝突、間もなくスコーク77を発信。この間およそ3分。 > 機長は飛翔体の距離と高さを誤認していた。 > 日航機は垂直尾翼の大部分を失い、油圧管を破断し、油圧を急速に失っていた。 > 右旋回して羽田空港へ戻ろうとしたが、油圧消失により補助翼が中点に戻って直進し、伊豆半島を横断して駿河湾を西進した。 > 油圧を失うと補助翼の動きが自由になることは、B747のAileron_Power_Control_Unitの構造図から明らかです。 > このことは、異常発生以降のDFDRのRLLとCWPの記録にも示されています。。 > 以後、油圧を失って操縦不能な状態のまま、残った電動でエ > ンジン出力を加減して不安定な運航を余儀なくされた。 > 垂直尾翼を失った日航機は、顕著なダッチロールとフゴイド運動に陥り、フゴイドを抑えるためにエンジン出力を加減したが、この操作に対して、左第1エンジンの出力が他よりも増減の程度が > 大きくなる特性があり、左右のバランスがわずかにずれていたため、エンジン出力を上げると右旋回し、下げると左旋回するという結果をもたらし、この状態が最後まで続いた。 > エンジン出力の特性は、離陸直後から異常事態発生までのDFDRのエンジン出力データから確認できる。 > 18時40分から42分40秒の間、エンジン出力を上げたため右旋回した。さらに、18時40分前後、電動によりギア(車輪)を下ろし、これのブレーキ効果により徐々に減速、降下していった。 > 45分頃からはエンジン出力を下げたために左旋回を生じ、その後、エンジン出力を前に戻してほぼ直進していったがフゴイドは続き、長野県川上村上空付近でフラップを下げ、エンジン出力を上げたために再び右旋回が始まり、フラップを下げた影響で急な右旋回となり、揚力も失い急降下し、墜落に至った。 > フラップを下げていると旋回半径が小さくなる。機長が最後に、フラップアップ、と何度も叫んでいるのはこのためです。 > ーーーーーー > 当日、相模湾て試運航中だった護衛艦[まつゆき]には、対空レーダー、対水上レーダー、航海用レーダーが装備されていた。 > これらレーダーのテストのためには、無線操縦で飛行する無人機および別の船舶が必要であり、この船舶には無人機の無線操縦装置と無人機の発射台を設置していた。 > 相模湾の上空に無人機が飛んでいたことかが確実で、これが日航機の垂直尾翼に衝突したと推測できる。 > [まつゆき]は、日航機の残骸を発見し回収して海上保安庁に引き渡したが、これには民間人も乗船し、回収時には近くに巡視船もいたから、隠すことができなかった。 > (なお、飛翔体が日航機の垂直尾翼の上端に衝突した根拠はNo.2607の後半を参照。) >
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