墜落から42回目の夏

  • 投稿No.4504
  • 投稿者:管理人[ 管理者 ]
  • 投稿日:2026-07-25 06:32:24

管理人です。

墜落事故が起きてから来月12日には丸41年が経過し、墜落した年も含めて42回目の夏を迎えることとなりました。

昨今の気温は全国のあちこちで40度にも達する「酷暑日」と呼ばれる日が出現する暑さとなり、墜落の夏はまだクールビズもなかった頃の夏を思い起こすと、当時の比較ではもしかしたら5度以上高くなったのではないでしょうか。
「熱中症警戒アラート」が鳴り響く中、熱中症によって最悪、命が奪われることのないように過ごしたいものです。

さて、JAL123便墜落事故から八年が経過した1993年(今から33年前)も暮れようとしている12月に、『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎さん著)という書物が発刊されました。
その頃、あの墜落事故は圧力隔壁の整備不良に起因するところに問題があったとして収束しかけていたはずでしたが、その書物は、あの墜落事故はそもそも事故ではなく、事件ではなかったのかという問題提起をするには十分衝撃的なものでした。

改めて『疑惑 JAL123便墜落事故』に関して角田四郎さんが単なる墜落事故ではなく事件性を内包していると主張される根拠が記されている箇所を何点か抜粋しておきたいと思います。

396ページ 
 「ごく日常的に見慣れた機影を(地上からの目撃者が)『ジャンボ機』と特定したり『いつもの倍』と表現するのには、相当の信頼度がある言葉であると私は考えるのだが、そのときのフライト・レコーダーの記録は『いつも以上』の高度を示しているのは一体どうしたことか。
 フライトコースについても(地上からの目撃談によると)日航機は明らかに東京都五日市町まで達している。
五日市町の北隣の日の出町には、自分の頭上を今度は東から西へ向かう機を見た証言まで存在する。もはやこれは隠しようのない事実である。
 ところが、航跡図をここまで東へ移動するおとになれば、それがいかに『略図』として発表してあるにしても、時間的あるいは速度機首方位等のデータは全て不合理となってしまう。つまり、一部が故意にカットされない限り、墜落地点は現実の場所から、大きく異なってしまうのである。
いいかえれば、フライト・レコーダーには、その一部がカットされ隠されているからこそ、実際より西方を飛ぶ航跡図となってしまっている。整合性を持たせるために、ボイス・レコーダーにも手を加えざるを得なくなったと私は推定している。

353ページ
 「私が行ってきたのは、犯人の追及や責任者のあぶり出しではない。
ただ、520柱の御霊の安らかならんことを願う思いと、航空機の安全を求める心であった。
 そのことに照らし、今後これ以上の物的証拠や新事実の出現や確認あるいはボイス・レコーダーやフライト・レコーダーといった生の証拠物件の公開といった道が閉ざされた今、事故原因の真実を明確に示すことは不可能に近い。しかし、それでもなお、私には真実を置きざりにすることはできない。
 たとえ、想像だ!邪推だ!と一笑に付されるとしても、あの山中に粉微塵となって放り出された、一人一人の人間を思うとき、御霊の無念に答える一方法として、私なりの説を企ててみる必然が、私をかりたてるのである。

417~418ページ 
「私に限らずこの事故に対する疑惑を提示し続ける人が後を断つことはないであろう。
 そしてその人々が抱く疑惑と同様、一瞬にして平和な家庭を引き裂かれ、かけがえのない愛をもぎとられ、夢を無残に葬られた、亡き人々と残された人々の怨念は、衰えることなく続く。
真実がより明瞭に示されない限り・・・・・・。
 私の仮説にも多くの間違いがきっとあるはずだ。
しかし『日航123便墜落事故』は、言われているように単なる『事故』ではなく、明らかに『事件』と呼ばれるべきものを内包している。」

掲示板を設立したきっかけは技術論を云々する以前に、角田四郎さんが書物で記されておられますように、不慮の死を迎えざるを得なかった犠牲者の方々の無念さに思いを馳せ、事故原因を考えてみたとき、事件性があるのに事故だったという方向に真相が歪められているのであればそこのところは再考してみたいというところに出発点がありました。

この掲示板においては事件性はなく、やはり事故であったと結論付ける投稿はもう結構でございます。
今後はあの墜落は単なる事故ではなく、私も事件性があったのではないかと感じるという方がいらっしゃればそのような方にそのように考えられる根拠を少しだけ添えて投稿していただくことを期待しております。

削除前確認(削除を実行するには投稿時に設定したパスワードを入力した上で削除ボタンをクリックしてください)