日航123便・墜落の新事実(青山透子著)を読んで
- 投稿No.2494
- 投稿者:鷹富士
- 投稿日:2023-01-22 17:15:01
事故調の結論に対する疑義の根拠として、著者は下記を指摘している。( )内は私のコメント。
1、乗客が窓外の風景を写した写真の中に、相模湾の向こうに富士山が見える写真があり、これに黒い点が写っている。この黒点を拡大・分析したところ、これはオレンジ色の物体で向こう側に熱波動があり、日航機に向かって飛んでくると推定される。
(著者は、この謎の物体が日航機の垂直尾翼を破壊したのではないかと示唆している。しかし、この写真の右下に見える特徴的な海岸線は逗子・鎌倉付近で、写真が写された位置は日航機が三浦半島の東・浦賀水道の上空をほぼ真南の方向へ飛行中なので、謎の物体は東へ向かって飛んでいたことになる。そうすると、これが向きを転じて日航機を追尾し、遠く離れた伊豆半島東岸上空で衝突したとは考え難い。)
(また、カメラのシャッタースピードが1/125だったとしたら、日航機は秒速200㍍で飛行中だからこの間に1.6㍍動いており、なぞの物体が直径1㍍と仮定したら横方向に大きくブレて写るはず。ブレが無いから、この黒点はフィルムの傷もしくは窓ガラスに付いたゴミと考えられる。)
2、2015年9月、30年前に藤枝市に住んでいた女性が訪ねてきて、著者に次のような目撃情報を語った。
「85年8月12日18時30分頃、仕事を終えて外へ出た瞬間、『キャーン、キャーン』と悲鳴のような声が聞こえ、見上げると目の前を低く右斜めに傾きながら飛行しているジャンボジェット機が見えた。・・・・・駿河湾から富士山のある北へ向かって、ゆっくりと右旋回しながら飛行しており、はっきりと窓も見えるほど高度が低い状態だった。・・・・・・機体の左下腹に真っ赤な円筒形のモノが張り付いて見えた。・・・・・5分ほど後、帰宅途中の車の中から、ファントム2機がジャンボジェット機を追うように飛び去っていくのを見た。」
(機内の叫び声が外で聞こえることはありえません。このような低空飛行なら大勢の目撃者があるはずですが、当時、そのような情報はありません。事故から30年も経ってから語るというのも不自然です。他にも多数、著者の元へ目撃情報が寄せられているとのことですが、それら情報の内容について具体的な記述はなく、信頼できる情報はないことを示しています。)
3、日航機墜落事故の後、上野村の小学校および中学校が、それぞれに生徒たちによる作文集を発行した。その中には、生徒たちが見た状況や感想が率直に書かれている。その中から著者が整理した内容のうち、墜落前の状況を記すものは下記。
(1)、墜落前に、大きな飛行機と小さい飛行機が追いかけっこ状態にあった。
(2)、真っ赤な飛行機が飛んでいた。
(3)、墜落前後、稲光のような閃光と大きな音を見聞きした。
(日航機が墜落した後、米軍の輸送機と自衛隊の戦闘機が上空を旋回していたのを誤解していると思います。)
青山透子氏には、他に下記3点の著作があります。
A,「日航123便 あの日の記憶・天空の星たちへ=マガジンランド社・2010年刊」
B,「日航123便墜落 疑惑のはじまり・天空の星たちへ=河出書房新社・2018年刊」
C,「日航123便墜落の波紋=河出書房新社・2019年刊」
BはAと内容が同じで、改題して別の出版社から復刊されたもの。従って、昨年出版された「・・・JAL裁判」まで全部で7点(実質6点)になります。
投稿No,2480に記したように「・・・JAL裁判」を読み、その後、以前の著作も全て読み直してみて、事故調報告書の内容や自衛隊の対応に関する深い疑念、そして真相を究明したいという著者の強い意志を感じます。
しかし、著述の中に不合理・非科学的な記述が散見されることは、著者の意図に対しては逆にマイナスに作用しています。
著作の全体は、ノンフィクションを装ったフィクション(小説)であり、多くの創作、虚構が含まれています。