令和7年5月に登場した証言

  • 投稿No.4091
  • 投稿者:風化させてはいけない
  • 投稿日:2025-05-26 07:41:44

事故当時、空将だった人が令和7年5月に動画で登場しました。彼は事故調の隔壁説を認めています。
40年も経ってから突然出て来た証言で、かえって不自然な感じがします。

この動画のコメント欄には、「誰かに指示されて作った動画ではないのか?」「ハニカム構造でも沈みます」
「この人が実際に目撃したわけじゃないのに」「こんな証言信じる人は少ない」
ほか、事故調の報告に対して指摘されている矛盾点について触れていない事に疑問を呈する書き込みが多いです。

★日航機123便 一部始終を見た元空将が“事故のウラ側”を暴露!(元空将 織田邦男)★
https://youtu.be/Gdg7V9b2L5Y?si=abfasMk3izkJzWFc

00m00s---Opening
06m57s---当時はですね。F-4ファントムは、スクランブル待機に就いてましたが、赤外線ミサイルしか積んでいないんですね。
それは、機が不明機、つまり当時は冷戦ですから、主対象が大体、ソ連の爆撃機。あるいはソ連の戦闘機ぐらいなんですね。
それに対して、自己を防衛するための赤外線ミサイルを搭載していました。
今回のやつはね、そのミサイルで撃ち落としたと言う様なことを(本に)書いていると言う事なんですね。

07m30s---赤外線ミサイルをもしですよ、撃ったとしたら、尾翼なんかに当たりません。
エンジンに当たります。だって熱源に引き込まれて行くミサイルですからね。だから、そういう事さえも知らない人が書いてる(本の事)。

11m35s---尾翼はハニカム構造で出来ているんですよ。つまり海底には有りません。
あれは浮かぶんですよ。尾翼そのものが。浮かんでだから当然ですね、海流に乗って何処かに行ってしまっていますよ。
太平洋の中、全部探すんですか?こういう事なんですね。

12m22s---先ほど言った様に、赤外線ミサイル、赤外線にホーミングするミサイル。
これは何処に当たるかと言うと、エンジンなんですよ。もしこれで当たっていたとしたら、
エンジンが相模湾に落ちているはずなんです。エンジンはちゃんと山にね、4つ残っていたわけです。