Re.(14) DFDR解析による航跡

  • 投稿No.2325 元投稿No.2323 文系ちゃんさんへの返信
  • 投稿者:文系ちゃん
  • 投稿日:2022-11-05 15:03:08

鷹富士さまへ

>1、 出所が羽田か所沢で運輸省の会見によるものと新聞社が確認し、かつ運輸省も確認しているなら結構ですが、私の知る限り、新聞社は後追い報道をしていないと思います。流しっぱなしです。個々に、確認が必要です。

報道各社も独自のネットワークをもっていたでしょうから、ダイレクトにレーダー情報の聴きだしはしたであろうことは否定しませんし、そうであろうとも思いますが、運輸省の会見時には主要新聞社はその場にいたでしょうし、地方紙では時事か共同からか、そこでの情報を得た上で紙面を構成した事でしょう。
注目すべき点は航跡として西方向へとシフトしていったような可能性が考えられる点と、(13日の段階になってもなお)大月での360度超の旋回の形跡が現れていないというところでしょう。

>2、 河津町上空のの飛行高度について、異なる見解を持たれているようですが、その内容と根拠を説明してください。

可能性として異常発生時の高度がすでに低かった可能性と、異常発生後に高度を下げた もしくはその両方が一応あり得るという考えですが、それはインタビューに答えておられたタクシー運転手お二人のご様子からですね。 
右翼下げ、左翼上げの様子を腕を使ってジェスチャーで表しておりましたが、その表現でのバンク角が40度はあろうかといったように感じられ、高度が7000mほどはあったように思えなかったからです。

4、事故調の「経路略図」に描かれたような、大月上空の逆三角形の経路は、油圧が失われ操縦不能な事故機には不可能です。このような、急激な旋回半径の変化はできません。

途中機長は、木更津へのレーダーベクターを要請しているようですので、クルーによる何かしらの操縦関与はあったであろうと捉えております。実際のところどの程度の操縦性があったものか、特に事故調はその部分しっかりと調査するべきであったように思います。

鷹富士さまの考えとは合わない話にはなりますが、私としましてはCVRの編集、航跡改竄はあったのではないかと疑っておりまして、そうしますと当然DFDRの記録もそれに合わせませんと辻褄がおかしなことになります。
手を加えはしたものの、シミュレータに掛けた際には、ちゃんと(概ね)航跡図の通りに飛行し、墜落地点へと向かうような結果を示すようには体裁を整えていたのではないかとの推測で、それが大きく違う結果となるようであればそれが「お粗末」ということで、流石にそのようにはならないようにしていたのだろう という話です。

鷹富士さまのDFDRのデータからの航跡推測の手法は、不可避的な風の要素による変動幅のことは考慮が必要なのでしょうが、非常によくできているもので、計算結果として素晴らしいものであると思っております。

ただですが、その計算に用いましたDFDRのデータが絶対のものであるかとなりますと、私としては疑問符をつけており、実際の航跡の推測として受け入れられるかはまた別の話 ということになります。

> > 最初期の航跡の新聞報道となりますと出所は羽田か所沢からで運輸省の会見が情報源かと思われますが、それが出所不明と判断されるのなら一体何であれば信頼に足るものなのか想像できませんね。

> 1、 出所が羽田か所沢で運輸省の会見によるものと新聞社が確認し、かつ運輸省も確認しているなら結構ですが、私の知る限り、新聞社は後追い報道をしていないと思います。流しっぱなしです。個々に、確認が必要です。
> 角田著に紹介されている3件の例では、運輸省の会見によるものでなく、新聞社がそれぞれにレーダ情報を得て自ら作成した図、という印象です。

> > 異常発生時の飛行速度を210m/sで検討しましたが、6km離れれば通過前の視認が可能と考えましたが、高度の状況により更に近距離でも成立しますので、可能性として排除はしません。

> 2、 河津町上空のの飛行高度について、異なる見解を持たれているようですが、その内容と根拠を説明してください。

> > 墜落地点一致でお見事というようなことを書きはしましたが、事故調としてはシミュレータに掛けて墜落地点に至らないようなデータを出すようではお粗末に過ぎるというもので、流石にそれはあり得ないでしょう。

> 3、 現在はEXCELという便利な道具が誰にでも使えますが、37年前でもパソコンは使われており事故調の担当者も計算のプログラムを組めたはずです。
> 現実に、「別冊」ページ129の「付図ー12」はそのようにして描いたと思われます。
> 私は単純に、「別冊」ページ129の「付図ー12」を描いた担当者と、「本文」のページ137の「付図 1、経路略図」を描いた担当者は異なる、と思っています。
> 「経路略図」が杜撰であることはこれまでも繰り返し述べてきましたが、あなたもおっしゃるとおり、「極めてお粗末」なのが事故調の大勢でした。
> 「経路図」に関する問題だけでなく、「内圧による圧力隔壁破壊」や「内圧による垂直尾翼破壊」の解析についても、事故調はお粗末で、明らかにウソと解ります。

> 以前から述べてきた事の繰り返しですが、各種テストデータ、回収された残骸の記録、DFDRなどに誤りはないが、それらに対する事故調の解析・分析・説明は誤りだらけで、信用に値しないと考えています。上からの指示による「圧力隔壁破壊説」を成立させるために無理を重ねています。もう一つの理由は、彼らの能力が低かったことです。ただし、担当者のうち何人かは真相を解っていたと思われ、それを暗示する記述が所々に現れています。

> > ただ、大月旋回部では本来逆三角形の航跡となるデータとしたかったところ、技量及ばず楕円の航跡になってしまったのではなかろうかと想像しております。

> 4、事故調の「経路略図」に描かれたような、大月上空の逆三角形の経路は、油圧が失われ操縦不能な事故機には不可能です。このような、急激な旋回半径の変化はできません。

> 5、以下、参考までに、パソコンで経路図を作る方法を説明します。

> 事故調報告書のDFDR図から、HDGとTASを読み取り、パソコンのEXCELに入力していきます。
> 離陸から18時40分までは30秒毎に、以降、18時55分までは10秒毎に、以降、墜落までは2秒毎にデータを入れます。HDGとTASを合わせておよそ400項目あります。
> 読み取り開始から入力完了まで、およそ5~6時間。

> 次に、HDGとTASから各時刻の南北方向および東西方向の単位時間あたりの飛行距離を算定する計算式を入力し、時間を掛けて積算すると、各時刻の羽田空港をを起点とした飛行位置が算定できます。
> このステップに要する時間は数時間。この段階では、墜落地点の位置が実際よりも北西に10数キロずれています。

> 次に、補正条件として偏角と上空の風を入力し、飛行位置を修正していきます。大雑把に、偏角を6.5度、6000m上空に毎秒8mの西風として計算すると、墜落地点が実際よりも1km程度のずれに収まります。
> 理科年表によると、偏角は東京付近では6.5度ですが、事故機の経路に沿って、最小6度弱、最大7度強の変化がありますから、この範囲で適宜、調整をします。
> 上空の風は、つくば市の高層気象観測所のデータによると8月の平均値として毎秒8mの西風ですが、当日の経路上の各地点のデータは存在しませんから、常識的に7~9mの範囲で経路に沿って調整し、墜落地点の位置が実際の位置に合うようにします。
> チェックポイントとして、河津町役場、焼津市役所、五日市町役場の3箇所を選び、それぞれの近くの目撃情報に合うようにさらに補正条件の微調整を行います。
> この段階で、各地点の位置のズレは0.3km程度に収まっています。この段階は試行錯誤の繰り返しなので数時間を要します。

> EXCELでグラフを作成するコマンドの中の散布図を選んで描画させます。これは1~2分でできます。

> 地図から目印として市町や山の位置を読み取り、EXCELに入力すると、経路と併せて描画できます。
> 地図情報の読み取りと入力も面倒で、数時間を要します。

> 出来上がったEXCELのデータの情報量は、膨大な数字の羅列なので130KB ありますが、描画した経路図の情報量はわずか10KBしかありません。
> 図に表示された情報量は極めてわずかしかないが、DFDRに基づいてEXCELで計算した経路は、それだけの裏づけがあるということです。
> 仮にパソコンの中の「ペイント」を使って線を描くなら、やはり10KB程度でできるでしょう。