Re.(3) DFDRの信用性

  • 投稿No.2003 元投稿No.1993 せきたにさんへの返信
  • 投稿者:せきたに
  • 投稿日:2022-08-11 11:17:02

鷹富士さんへ

> 1、DFDRの信用性の問題とATMの問題は次元の異なる問題で、比喩の意味はありません。具体的に日航機の飛行経路とDFDRについて論じましょう。

DFDRもATMもデジタル的なものだと言っているんだ。
2004年に起きた特捜部検事による捜査資料改ざん事件を覚えておられるだろう。 
https://www.jiji.com/jc/v2?id=muraki_04
「大阪地検特捜部の検事による捜査資料改ざん疑惑を受け、記者会見する村木厚子厚生労働省元局長=21日午後、東京・霞が関の司法記者クラブ【時事】
 障害者割引郵便制度の悪用に絡む厚生労働省の偽証明書発行事件で、証拠品として押収したフロッピーディスク(FD)内に保存されていた文書のデータを、大阪地検特捜部の検事が改ざんした疑いのあることが21日、関係者の話で分かった。偽証明書の作成日時が検察側主張に合うように書き換えられていた可能性があるという。FDは公判には証拠として提出されなかった。
 最高検の伊藤鉄男次長検事は同日記者会見し、改変にかかわったとみられる同事件の前田恒彦主任検事(43)に対して、証拠隠滅容疑で捜査を始めたことを明らかにした。最高検検事を主任とした数人のチームで捜査し、今後刑事処分や懲戒処分を検討する。関係者によると、大阪地検は20日、前田検事から事情を聴いた。
 FDは昨年5月、虚偽有印公文書作成罪などに問われた同省元係長上村勉被告(41)=公判中=の自宅から押収され、同被告が自称障害者団体「凛(りん)の会」に発行したとされる偽の証明書のデータが入っていた。
 弁護側が請求して開示させた証拠によると、最終更新日時は「2004年6月1日午前1時20分06秒」だった。しかし、FDの記録を確認したところ、日時が「6月8日午後9時10分56秒」に書き換えられていた。
 検察側は公判で、村木厚子同省元局長(54)=一審無罪=が04年6月上旬、上村被告に偽証明書発行を指示したと主張。しかし、更新日時が1日だとつじつまが合わず、郵便事業会社側から凛の会に証明書提出要請があった8日を更新日時とすれば、矛盾しない状況だった。
 東京・霞が関の司法記者クラブで会見した村木厚子厚生労働省元局長(54)は「組織としてこういうことが起こらないようにすることが一番大事。あまり個人の問題にしてほしくない」と述べ、検察組織として真相究明を図るよう求めた。
 村木元局長は冒頭、「大変びっくりした。こんなことが起きるのかと恐ろしい気持ちだ」と検察に対する不信感をあらわにした。
 検察側の主張と改変前のフロッピーディスク(FD)のデータとの矛盾に、最初に気付いたのは村木元局長。「データは残っていないのかと思ったら、開示証拠の中に合致したものがあった。大事な証拠なのに真相解明に使われていないことに大変ショックを受けた」と振り返った。その上で、「改ざんされていれば、自分の無罪の足掛かりになるものが得られない。本当に怖いことだ」と述べた。(2010年9月21日配信、肩書き・名称、年齢はいずれも当時)

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> 2、私は、DFDRで飛行状態を記録できるが、目撃情報は必ずしも正しいとは限らないと考えます。

DFDRはコンピュータシュミレーションを使える環境があれば人工的に作成できるが、立場が違う偶然性の高い複数の目撃情報は川上村上空で右旋回し、三国山の方角に向かって行って長野・群馬県境を越えたと言っており、DFDRの描く航跡と全く異なるが、それらの目撃談を人為的に操作し、一致させることは困難だ。

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> せきたにさんが事故調の飛行経路図に疑念を持たれるなら、(内容的には異なるとしても)私も同感ですが、DFDRを信用されないというなら、本質を誤解されていると思います。

それは意味が違う。DFDRは通常は正確なものだと考えている。JAL123便墜落事故後公表されたDFDRはオリジナルなもの(生のもの)では無くコンピュータシュミレーションを使って作られたものだという見方だ。オリジナルのDFDRは別にあると考えている。フロッピーディスク改ざん事件の例でいうならば改ざんされる前のDFDRだ。但し、DFDRの場合はフロッピーディスクの更新日時だけではないので改ざんすることは難しいことはわかっている。だからコンピュータシュミレーションで作られたものが公表された可能性があるのではないかと考えている。

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> 3、「杉江弘氏」を「堀江弘氏」と誤記していたようですので、訂正させていただきます。

そういうことなら了解。

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> 4、角田四郎氏自身は、ご著書の中で、事故調報告書の大月旋回の経路も高さも問題にされていないので、了解されているものと思います。

問題にされているじゃないか。
396ページ~397ページには次のように記されている。
「のみならず、事故発生地点にすら私は大きな疑問を持っているのである。
 事故は現在いわれる伊豆半島直前よりさらに東側、未納入試運行戦艦『まつゆき』が垂直尾翼を回収した地点にほど近い空域である可能性が高い。ここが真の事故発生地点ではないだろうか。千葉県館山での目撃まであるという現実もこう考えれば当然といえることになる。
 本当の事故発生地点が事故調の発表した見解より東側に寄れば、高度も伊豆半島直前に達するであろう24000フィートにはとても達しておらず、15000フィート程度であったと予想できる。これなら「ふだんの倍」くらいに大きく見えたという証言もうなずける。また、この高度から降下を始めたとすれば、私の目撃地点(大月)での3000メートル(約1万フィート)くらいと見る目測も理にかなうこととなる。しかも「緊急降下」の必要性も、またそうしなくても苦しくなかったというのも全て理解できるところとなる。

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> 5、「角田四郎著=疑惑」のページ323で、全日空小松便の機長の情報が記載され、「高度18000フィートで進行中、前方に高度24000から22000フィートで右旋回中の日航機を発見」という趣旨の記載があり、これは大月旋回中のDFDRの記録と合致しています。

合致していない。「角田四郎著=疑惑」のページ323に記されている場所は座間の東9キロの地点だ。全日空小松便はその地点から直線距離で約3.6キロの場所に事故機を見かけたと言っているので、そのときの事故機の位置は大月ではない。

8月23日の「毎日新聞」朝刊
「全日空は12日午後6時30分、羽田を離陸。東京湾上空で南南東から高度4000フィートで左に旋回。座間市上空を2万フィートで通過するため上昇中、羽田と座間のほぼ中間で、ACCから『緊急航空機あり。高度18000フィートを維持せよ』の指示があり従った。座間の東9キロの上空で同高度に達し、管制から『緊急機の視認ができるか』と聞かれて前方を見ると全日空機の進行方向に対して約15度右側の高度24000~22000フィート付近で事故機を発見した。近づくと右旋回中と判明、飛行は約2秒間右に傾くと、そのあと約1秒間水平飛行に戻るという横揺れ状態だったという。日航機はこのあと、機首を南からさらに西に向けるところで、全日空の右後方約45度の位置だった。直線距離で約3.6キロだった。」

但し、上の記事は8月23日の「毎日新聞」朝刊に掲載された記事だが、もう少し前の8月16日の「東京新聞」朝刊の記事が「角田四郎著=疑惑」のページ322に紹介されており、両者は似た記事だが微妙に内容が異なる。

「8月16日の「東京新聞」朝刊」
「12日夕、羽田発の定期便で、ザマ・ポイントに向けて飛行中、ACCに24000フィートへの上昇許可を求めたところ『18000フィートを維持せよ。緊急通報を発している期待がある』と通報され、初めて近くに123便のジャンボ機がいることを知ったという。
 このため前方を注視していたところ、午後6時半すぎ、同ポイントの東9キロ地点で、前方のやや右上部に123便の機影を視認した。機長は『初めは四発エンジンの大型運用機といった感じで、日航機には見えなかった』という。また『機は大きくなったり小さくなったり見えた』『北から東に針路変更をしようとしているようだった』と報告している。」

この記事の通りだと時刻も位置も大月とは異なる。従って、大月旋回中のDFDRの記録と合致しているとはいえない。