Re.(2) 無人標的機2
- 投稿No.4340 元投稿No.4339 あつちゃんさんへの返信
- 投稿者:安芸
- 投稿日:2025-12-05 18:11:08
あつちゃん さんへの返信です。
状況証拠は沢山あるから、次は、津村議員が国会質問で提起されたように、相模湾海底再調査で物証を採取することが必要です。
> 安芸 さんへの返信です
> フラッターやラダーの制御不全では、
> 状況証拠を説明できないですね。
> 何かがぶつかった。
> > 角田四郎著「疑惑」のP414~P416 には、日航123便墜落に関する角田氏の仮説を述べていて、その冒頭に次のように記しています。
> > 「日航123便JA8119号機は、相模湾上で試運航中の未納入護衛艦艇の様々なテストのため飛ばされていた自衛隊保有の標的機と接触、垂直尾翼に損傷を受け・・・・・・・・・・・・・・」
> > ここで、「未納入護衛艦艇」は「まつゆき」を指し、異常発生は85年8月12日です。
> > ところが、2025年7月28日に行われた「第二回航空機事故と災害派遣―JAL123便墜落事故から40年―現場からの証言」と題するシンポジュームの中で、85年8月の当時に「まつゆき」の艤装員(海上自衛官)だった人が二人、その公開された公式動画で次のように証言しています。
> > 「85年8月12日、「まつゆき」は東京豊洲・石川島播磨重工業東京第1工場岸壁に係留されていた。相模湾にはいない。
> > 8月13日、海上公試のために出航し、相模湾で漂流物を発見し、回収して海上保安庁へ引き渡した。」
> > そうすると、角田氏の仮説の冒頭部分は成立しないことになります。
> > 一方、No,4300で紹介した、護衛艦「たかつき」から発せられた無人標的機が日航123便に衝突した、という情報には、これを否定する情報がみつかりません。
> > 「たかつき」に関する情報が正しいなら、角田氏の仮説の「まつゆき」を「たかつき」に置き換えれば、角田氏の仮説の冒頭部分が成立します。
> > 日航123便の垂直尾翼はその上端に無人標的機が衝突したために破壊した、という状況証拠は下記のように多数あります。これらの大部分は、無人標的機の衝突以外には説明がつきません。
> > 1、回収された垂直尾翼前部上端に凹み(米田著のP220~P223、吉原公一郎著の口絵写真)。
> > 2、回収された胴体最後部で、垂直尾翼中央部の縦通材が根元で全て折損(米田著の口絵写真)。
> > 3、水平安定板の支持構造が破損(吉原公一郎著のP33)。
> > 4、垂直尾翼を胴体に結合するT字鋼が、結合部の前寄り部分で折れ曲がり(角田著のP333)。
> > 5、生存者証言で客室にごく短時間の減圧があり霧が発生(上からの衝撃で圧力隔壁の上辺と胴体内側の間に少しの隙間が生じたため。)。
> > 6、客室天井の断熱材が隔壁の後ろに流失(同上)。
> > 7、生存者証言で後方上からパーンという音。
> > 8.CVRにド、ド、ド、ドーンという音の前に低周波振動の記録。
> > 9、河津駅前で目撃者が聴いた「ボーンという雷のような音」(角田著のP21)の大きさは、垂直尾翼が機体内部からの要因で破壊したのではなく、外部からの衝撃で破壊したことを示す。
> > 10、異常発生時、CVRにはド、ド、ド、ド、ド、という断続的な音が数秒間録音されているが、この音に対応して箒木山観測所でもよく似た波形(包絡線)の微気圧振動が記録されている。波形が似ているのは、音の発生源が機体の外部であることを示している(事故調報告書・附録―9、P171)。
> > 11、回収された下部ラダーの上面にZ形の変形と2条の打痕(米田著の口絵写真)。
Re. 無人標的機2
- 投稿No.4339 元投稿No.4338 安芸さんへの返信
- 投稿者:あつちゃん
- 投稿日:2025-12-03 11:23:29
安芸 さんへの返信です
フラッターやラダーの制御不全では、
状況証拠を説明できないですね。
何かがぶつかった。
> 角田四郎著「疑惑」のP414~P416 には、日航123便墜落に関する角田氏の仮説を述べていて、その冒頭に次のように記しています。
> 「日航123便JA8119号機は、相模湾上で試運航中の未納入護衛艦艇の様々なテストのため飛ばされていた自衛隊保有の標的機と接触、垂直尾翼に損傷を受け・・・・・・・・・・・・・・」
> ここで、「未納入護衛艦艇」は「まつゆき」を指し、異常発生は85年8月12日です。
> ところが、2025年7月28日に行われた「第二回航空機事故と災害派遣―JAL123便墜落事故から40年―現場からの証言」と題するシンポジュームの中で、85年8月の当時に「まつゆき」の艤装員(海上自衛官)だった人が二人、その公開された公式動画で次のように証言しています。
> 「85年8月12日、「まつゆき」は東京豊洲・石川島播磨重工業東京第1工場岸壁に係留されていた。相模湾にはいない。
> 8月13日、海上公試のために出航し、相模湾で漂流物を発見し、回収して海上保安庁へ引き渡した。」
> そうすると、角田氏の仮説の冒頭部分は成立しないことになります。
> 一方、No,4300で紹介した、護衛艦「たかつき」から発せられた無人標的機が日航123便に衝突した、という情報には、これを否定する情報がみつかりません。
> 「たかつき」に関する情報が正しいなら、角田氏の仮説の「まつゆき」を「たかつき」に置き換えれば、角田氏の仮説の冒頭部分が成立します。
> 日航123便の垂直尾翼はその上端に無人標的機が衝突したために破壊した、という状況証拠は下記のように多数あります。これらの大部分は、無人標的機の衝突以外には説明がつきません。
> 1、回収された垂直尾翼前部上端に凹み(米田著のP220~P223、吉原公一郎著の口絵写真)。
> 2、回収された胴体最後部で、垂直尾翼中央部の縦通材が根元で全て折損(米田著の口絵写真)。
> 3、水平安定板の支持構造が破損(吉原公一郎著のP33)。
> 4、垂直尾翼を胴体に結合するT字鋼が、結合部の前寄り部分で折れ曲がり(角田著のP333)。
> 5、生存者証言で客室にごく短時間の減圧があり霧が発生(上からの衝撃で圧力隔壁の上辺と胴体内側の間に少しの隙間が生じたため。)。
> 6、客室天井の断熱材が隔壁の後ろに流失(同上)。
> 7、生存者証言で後方上からパーンという音。
> 8.CVRにド、ド、ド、ドーンという音の前に低周波振動の記録。
> 9、河津駅前で目撃者が聴いた「ボーンという雷のような音」(角田著のP21)の大きさは、垂直尾翼が機体内部からの要因で破壊したのではなく、外部からの衝撃で破壊したことを示す。
> 10、異常発生時、CVRにはド、ド、ド、ド、ド、という断続的な音が数秒間録音されているが、この音に対応して箒木山観測所でもよく似た波形(包絡線)の微気圧振動が記録されている。波形が似ているのは、音の発生源が機体の外部であることを示している(事故調報告書・附録―9、P171)。
> 11、回収された下部ラダーの上面にZ形の変形と2条の打痕(米田著の口絵写真)。
無人標的機2
- 投稿No.4338
- 投稿者:安芸
- 投稿日:2025-12-03 08:09:02
角田四郎著「疑惑」のP414~P416 には、日航123便墜落に関する角田氏の仮説を述べていて、その冒頭に次のように記しています。
「日航123便JA8119号機は、相模湾上で試運航中の未納入護衛艦艇の様々なテストのため飛ばされていた自衛隊保有の標的機と接触、垂直尾翼に損傷を受け・・・・・・・・・・・・・・」
ここで、「未納入護衛艦艇」は「まつゆき」を指し、異常発生は85年8月12日です。
ところが、2025年7月28日に行われた「第二回航空機事故と災害派遣―JAL123便墜落事故から40年―現場からの証言」と題するシンポジュームの中で、85年8月の当時に「まつゆき」の艤装員(海上自衛官)だった人が二人、その公開された公式動画で次のように証言しています。
「85年8月12日、「まつゆき」は東京豊洲・石川島播磨重工業東京第1工場岸壁に係留されていた。相模湾にはいない。
8月13日、海上公試のために出航し、相模湾で漂流物を発見し、回収して海上保安庁へ引き渡した。」
そうすると、角田氏の仮説の冒頭部分は成立しないことになります。
一方、No,4300で紹介した、護衛艦「たかつき」から発せられた無人標的機が日航123便に衝突した、という情報には、これを否定する情報がみつかりません。
「たかつき」に関する情報が正しいなら、角田氏の仮説の「まつゆき」を「たかつき」に置き換えれば、角田氏の仮説の冒頭部分が成立します。
日航123便の垂直尾翼はその上端に無人標的機が衝突したために破壊した、という状況証拠は下記のように多数あります。これらの大部分は、無人標的機の衝突以外には説明がつきません。
1、回収された垂直尾翼前部上端に凹み(米田著のP220~P223、吉原公一郎著の口絵写真)。
2、回収された胴体最後部で、垂直尾翼中央部の縦通材が根元で全て折損(米田著の口絵写真)。
3、水平安定板の支持構造が破損(吉原公一郎著のP33)。
4、垂直尾翼を胴体に結合するT字鋼が、結合部の前寄り部分で折れ曲がり(角田著のP333)。
5、生存者証言で客室にごく短時間の減圧があり霧が発生(上からの衝撃で圧力隔壁の上辺と胴体内側の間に少しの隙間が生じたため。)。
6、客室天井の断熱材が隔壁の後ろに流失(同上)。
7、生存者証言で後方上からパーンという音。
8.CVRにド、ド、ド、ドーンという音の前に低周波振動の記録。
9、河津駅前で目撃者が聴いた「ボーンという雷のような音」(角田著のP21)の大きさは、垂直尾翼が機体内部からの要因で破壊したのではなく、外部からの衝撃で破壊したことを示す。
10、異常発生時、CVRにはド、ド、ド、ド、ド、という断続的な音が数秒間録音されているが、この音に対応して箒木山観測所でもよく似た波形(包絡線)の微気圧振動が記録されている。波形が似ているのは、音の発生源が機体の外部であることを示している(事故調報告書・附録―9、P171)。
11、回収された下部ラダーの上面にZ形の変形と2条の打痕(米田著の口絵写真)。
墜落機体の衝撃
- 投稿No.4336
- 投稿者:安芸
- 投稿日:2025-11-25 08:00:15
No.4302で、事故調報告書は遺体の損傷についての分析が極めて不充分であることを述べましたが、
次に、機体に加わる衝撃についての分析もまた、不充分であることを示します。
墜落地点の南東方向(U字溝に向かう方向)への傾斜角は下り29度です。
標高1610mのU字溝から標高1565mの墜落地点までの標高差45m、この間約570mの距離なので下り角度4度になり、日航機は、墜落地点の尾根に約33度の角度を以って激突したことになります。
墜落直前の速度は秒速180mで、尾根の地面に対して斜めに、相対速度毎秒98mで激突しています。
激突時の機体はPCH角約マイナス40度で、機首を下に向けて、その下部から尾根に激突しています。
激突時に機首下部が6m撓み凹んだとすれば、98÷6≒16.3 なので、
作用時間およそ0.06秒で、約160Gの衝撃を発生しますが、
立ち木による衝撃緩和と地面自体の弾力性があるので、実際の衝撃はこれより小さく100G程度と推定します。
この衝撃は、機首の下部から胴体の上後方へ向かうものですが、胴体の後方へは反射しながら伝わり、反射の屈折点付近で胴体が分離し、分離する過程で衝撃は大きく減衰します。
事故調報告書P139とP149からP151 の図をみると、胴体は大きく五つに分かれて散乱していますが、これは、激突時の衝撃が胴体を伝わる過程で胴体が分離したためと推定します。
機首付近に発した100Gの衝撃も、後方へ伝わると大きく減衰して、客室後部では、10G以下になります。
事故調報告書がP121~P122で次のように記述しているのは、根拠の曖昧な大きすぎる数値です。
『前方胴体内にいた乗客・乗員は、数百Gと考えられる強い衝撃と、・・・・・
後部胴体内にいた乗客・乗員のうち、前方座席の者は、100Gを超える衝撃、・・・・・
後方座席にいた者が衝突時に受けた衝撃は数十G程度の大きさ・・・・・』
先に紹介したNTSBの文献を参照すると、85年当時のB747のシートベルトの強度は4ないし5G程度であり、
生存者の落合さんと川上慶子さんのシートベルトも切れていなかったこことが証言されています。
吉岡忍著「墜落の夏」P131で、落合さんは次にように述べていますが、激突時の強い衝撃の後は、特別の衝撃はなかったことを示しています。
「衝撃は一度感じただけです。いっぺんにいろんなことが起きた、という印象しか残っていません。回転したという感じはありません。投げ出されたような感じです。・・・・・・・・」
No.4302で述べたように、遺体の大部分は衝撃ではなく、前の座席と機体の残骸により、圧迫、切断、打撲による大きな損傷を受けています。
また、主にストリンガーとフレームと外板で構成される胴体に伝わる衝撃は、直接に乗客の身体に伝わることはなく、床、座席、内装材を介在させますから、これらにより衝撃も緩和されます。
Re. 元日航社員と防衛庁関係者の告発
- 投稿No.4327
- 投稿者:尾宮次夫
- 投稿日:2025-11-23 15:58:30
鷹富 さんへの返信です。
> 青山透子公式サイトのブログで
> 2023、5,8 元日航社員の告発文
> 2023,5,15、防衛庁関係者の告発文
> が、それぞれ載っています。
> 内容を読んで、どこかで読んだ気がすると思ったら、
> 2017年から2022年の青山氏の著作に載っているストーリーの丸写し。
> 日航社員あるいは防衛庁職員でないとわからない情報は皆無で、
> これら告発文自体が青山氏の作り話。
青山透子氏の著作物は2017年(墜落の新事実)から2022年(JAL裁判)までに6冊を数えます。告発文が「ストーリーの丸写し」と言われても、具体的に説明されないと分かりません。要は青山透子氏の説に反対ということですね。それなら分かりますが、「告発文自体が青山氏の作り話」の部分は証拠を示されないと名誉毀損で訴えられる恐れがありますよ。
中島初代さんと中嶋初女さん
- 投稿No.4323
- 投稿者:安芸
- 投稿日:2025-11-22 14:03:13
角田四郎著「疑惑」のP93に次の記述があります。
「埼玉方面から飛んできた飛行機が、赤い炎を上げ、やがて黒い煙を残して南相木村の群馬県境に消えた。長野県川上村・中島初代さん・(県警第一報)。8月13日朝日新聞。」
下記のアドレスに示す動画で、中嶋初女さんが、目撃情報を語っています。
https://www.youtube.com/watch?v=czhCsHplCd8
その要旨を次に記します。
「甲武信岳、十文字峠方面から大きな飛行機が近づいてきた。
機体は私の真上を通り過ぎ、梓山集落方面に向かい、それから翼を大きく右に傾けるとV字にターンして、三国山峠方面の上空を飛んでいった。・・・・・・・・・・・
高天原の稜線の一所が赤くピカッと光り、次の瞬間、少し離れた稜線がパッと赤く光り、その光を追いかけるように真っ赤な色が空に広がり、火柱が空へ上がった。数秒後に黒い煙がスルスルと立ち上がってきた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
家に帰って事情を話し、生れて初めて110番通報をした。
通報をし終えて時計を見たら7時30分だった。」
上記の、中島初代さんと中嶋初女さんは同一人物で、朝日新聞が目撃者の名前と目撃情報の両方を誤っている事例です。川上村梓山地区の上空を飛行中に日航123便の機体が「赤い炎を上げ・・・」は、誤りです。
朝日新聞の誤報はかなり以前から指摘されていましたが、中嶋初女さんの動画が決め手です。
目撃情報にはしばしば錯覚や誤解が含まれます。他の情報と照合し、辻褄の合わない事柄は無視することが必要です。
日航機が川上村梓山地区の上空を飛んで行く時、右旋回にダッチロールによる蛇行が重なっていましたから、目撃者の位置によってはV字ターンにも見えたのは不自然ではありません。
その他にも、梓山地区の似たような目撃情報があります。
事故調報告書のP7,「飛行機はわれわれ(4人)の上空を通過したが、その後、北西にある扇平山の付近で右へ変針し、東北東にある三国山の方向へ飛行した。」
角田著のP97にある石川さんの目撃情報でも、「ほぼ真上を西へ通過して・・・」と語り、それ以降の状況は上記4人と同様です。
角田著のP94には、「飛行機は頭上で右旋回し・・・」と語っている人が二人あります。
梓山地区は東西に3kmほどに広がっていますが、これらの人たちがそろって「真上」あるいは「頭上」に飛行する日航機を見たのは、日航機がかなり高いところを飛んでいたことを示します。
日航123便は撃墜された (7)
- 投稿No.4321
- 投稿者:尾宮次夫
- 投稿日:2025-11-22 11:34:34
日航123便が撃墜された状況 は、下記の告発文で詳細に知ることができます。「青山透子公式サイト 日航123便墜落の真相
2023-5-15付」から掲載します。
https://tenku123.hateblo.jp/entry/2023/05/15/104559
元防衛庁関係者です。(後略)墜落に至るまでの全ての状況を整理します。
事実関係
自衛艦「まつゆき」は公試のため相模湾にあった。併せて行う高速飛行する敵大型爆撃機を迎撃する想定訓練において、開発中の長射程誘導弾援用型を試行のため、日航123便を仮想標的とする。二発の炸薬の無い模擬ミサイルが発射されたが、停止(破壊)コマンドに反応せず日航機に向かい、一発がその垂直尾翼に命中し、垂直尾翼の一部を破壊した。(一発は追尾後に上野村山中に落下)命中箇所については、事故調報告書、並びに事故調査研究別冊に記されている。
「経緯」については、リンクをお開きください。
第4エンジンの脱落
- 投稿No.4305
- 投稿者:安芸
- 投稿日:2025-11-16 08:21:06
No,4296で述べた水平尾翼脱落との関連で、第4エンジンの脱落と右主翼の損傷について確認しました。
事故調報告書のP8からP12 の記述を総合すると、
1、日航機は、標高1565mの墜落地点より約1.1km南東で標高1530mにある一本カラ松などに機体を接触した。
2、右主翼は大きく損傷し、破片が一本カラ松の周辺から墜落地点までに散乱していた。破片はスパー方向にしわ状になっていた。
3、第4エンジンは大破して、墜落地点の南東約570mで標高1610mのU字溝付近に落ちていた。
また、このエンジンの破片もU字溝の南東で回収された、
4、一本カラ松は地上約14mの位置で切断されていた。(切断の状態は「せん断」と推定されます。)
まず、カラ松の破壊強度・応力を確認します。
林業関係の資料によると、カラ松の成木は、樹高20~25m、胸高直径約1m、建材としてのせん断強度7.8MPaです。
地上14mでの直径を0.3m(半径0.15m)として、せん断応力を計算すると、
7800000×0.15×0.15×3.14=551070N≒56,2トンとなります。
建材として使うデータは、乾燥した木材に静的荷重を加えて試験しますから、
山地に生える生木の場合、衝撃に対する応力は上記よりもかなり大きく、100トンを超えるはずです。
次に、エンジンの取り付け強度を確認します。
事故調報告書のP145、付図―9、エンジン装着図によると、エンジンは主翼の下に吊り下げられていますが、「吊り下げ部」は、前後が約5m、高さが約1.5m、横幅約0,5mです。
エンジンの最大推力21トンの前方向への力と、エンジンの重量を支える6トンの下方への力に耐えることで充分であり、横方向へは弱い構造です。
従って、吊り下げ部は、前方向へは50トン、下方向へは15トン、横方向へは5トン程度の強度を持っていたと推定されます。
上記の内容から推測すると、日航機が一本カラ松に接触した時、カラ松の幹が第4エンジン取り付け部より少し右寄りの位置で、右主翼の前縁に衝突したと推定されます。
衝突位置で100トンを超える衝撃が発生し、衝撃は衝突位置を起点に円弧を描いて伝播し、主翼の前縁は40度の角度で後退していますから、近くにあるエンジンの吊り下げ部は前後方向に長いので右側から衝撃が伝わると容易にこれを破壊します。
右主翼の破片がかなり長い範囲に散乱していたのも、カラ松が右主翼を大きく損傷させたためです。
ただし、エンジンは右主翼がカラ松に衝突した時に即刻落下したのではなく、吊り下げ部がエンジンの自重を支える程度の強度で残り、最終的には、U字溝で接触した時の衝撃で離脱しています。
なお、上記の「トン」は、重量のトンではなく力のトンです。
力の1トン≒9800N になります。
また、河村一男著「日航機墜落」のP233によると、「一本カラ松」はカラ松ではなく、樹齢200年を超える赤松でした。
それに従えば、赤松のせん断強度は9.3MPaなので、上記以上の応力を生じています。
墜落遺体
- 投稿No.4302
- 投稿者:安芸
- 投稿日:2025-11-11 07:38:21
川北宇夫著「墜落事故のあと」のP230-231に次の内容の記述があります
「(人体の耐衝撃性、)例えば前方方向の場合、20~25G程度の衝撃を受けても人は安全です。後遺症を伴うような傷もしません。」
この内容は、川北氏がNTSB(National Transportation Safety Board)の文献(原文)を確認されたものです。従って、30G程度の衝撃なら軽傷で済むことが想像できます。
ところが事故調は、NTSBの文献を参照しながら、20~25Gを人体が耐える限界と誤解し、報告書のP121~P122で次のように記述しています(一部を抜粋)。
『前方胴体内にいた乗客・乗員は、数百Gと考えられる強い衝撃と、前部胴体構造の全面的な破壊によって、即死したと考えられる。
後部胴体内にいた乗客・乗員のうち、前方座席の者は、100Gを超える衝撃を受けた可能性があり、ほとんどが即死に近い状況であったと考えられる。後方座席にいた者が衝突時に受けた衝撃は数十G程度の大きさであり、この衝撃によってほとんどが致命的な障害を受けたと考えられる。
本事故による生存者は4名であり、いずれも重症を負った。4名とも、後部胴体の後方に着座しており、数十G程度の衝撃を受けたものと考えられるが、・・・・・・・・奇跡的にも生還しえたものと考えられる。』
NTSB(文献)の記事を正しく理解すれば、後部胴体後方に生存者がいたのは「奇跡」ではなく、当然のことであり、墜落直後には4名以外にもかなりの生存者がいたことも証言されています。
事故調が生存者について、「奇跡的」と表現したのは誤りであり、この点を川北氏は厳しく批判しています。
事故調報告書の、後部胴体前方についての100Gを超える衝撃で「即死に近い状況」という表現も、後部胴体後方について「致命的な障害」という表現も、いずれも不適切です。
遺体の損傷のかなりの部分は、衝撃ではなく、破壊された胴体の破片などによる切断・圧迫・打撲による可能性が高く、救出の遅れが死亡者を増やしています。
生存者落合さんの証言によれば、墜落前の乗客の大部分は、上体を前に倒し、頭を下げた安全姿勢をとっていました。この状態で機体が機首から尾根へ激突したら、胴体中央部から前寄りの乗客はシートベルトが切れて頭から前方に突っ込んでいきますから、前方の座席などに頭をぶつけ、頭蓋骨が潰れ、頭を胴体にめり込ませ、頚椎が折れる、などの状況が起こります。その直後に、胴体が分解して広く散乱していく際に、乗客の身体もまた、胴体の破片と共に広く散乱したことになります。検視を担当した医師が「安全姿勢をとったために頭部を損傷した人が多くなった」と述べています。
川北氏が参照した上記NTSBの文献では、乗客が上体を起こしていて墜落して機首から突っ込んでいく場合、シートベルトが切れて身体は前方に飛んでいくと解説しています。
飯塚訓著「墜落遺体」のP58-59によると、完全遺体が492体、離断遺体が1143体、検視総数が2065体などと記されています。完全遺体は5体がそろっている場合ですが、頭部が下顎部だけとか手足の一部が欠けている場合も含まれ、5体満足は177体でした。死亡者520体から完全遺体492体を引いた残り28体は、身体の一部のみで身元確認されています。
バラバラに分断された遺体が極めて多く、それらの大半は身元を確認できなかったようです。
川北宇夫氏は、長女を日航123便墜落で亡くし、その後、シートベルトを2点式から3点式にする提案など、航空機の安全性向上のための活動をされています。
事故調報告書では遺体の損傷状況についての分析が極めて不充分であることについても、川北氏は批判しています。事故調報告書には多くの誤りや分析不足がありますが、この件もその一例です。衝撃がどのように発生し、どのように伝播し、どのように人体に影響するかは極めて複雑であり、事故調報告書のように短文で記述できる問題ではありません。
なお、事故調と川北氏が共に参照した文献は、Googleで「NTSB-AAS-81-2」をキーワードに検索すると、トップに表示されます。
日航123便は撃墜された (6)
- 投稿No.4301
- 投稿者:尾宮次夫
- 投稿日:2025-11-09 14:53:36
事故機(日航123便)が撃墜されたことは,第4エンジンの不可解な墜落現場の散乱状況からも証明できます。
日航の新入社員研修では、123便墜落時の残骸を展示している安全啓発センターの見学を義務づけています。そこでは墜落時の状況を次のように説明しています。「飛行機は最終的に東から西に進み墜落いたしました。一本から松をなぎ倒した後、90度近く傾き、右の翼で尾根の木々をなぎ倒して第4エンジンが脱落、180度裏返るような形であたまから墜落しております。」(時事ドットコム「心に刻む御巣鷹」黒田マネージャーの説明から)
事故調報告書には、「同機は、三国山の北北西約1.4キロメートルの稜線(標高約1,530メートルの一本から松の地点)にある数本の樹木に接触し、次いで同地点の西北西約520メートルの稜線(標高約1,610メートルのU字溝の地点)に接触した後、同地点から更に北西約570メートルにある稜線に墜落した。」とあります。(P.8)
同じく、事故調報告書には、「一本から松からU字溝にかけて、NO.4エンジン及びその部品、右主翼前縁の部品等が広い範囲にわたり散乱していた。」とあります。(P.12)
要するに報告書では、事故機の第4エンジンは、墜落現場から東南東約1.1キロメートルも離れた一本から松に右主翼が接触したから脱落した、と説明しているのです。「一本から松」はどういう状態になったかと言うと、「地上から14メートルの位置で切断されていた」(報告書P.12)とありますから、かなり梢の方です。その衝撃で1基重さ6t以上もある第4エンジンが脱落した、と言うのです。この報告書を読んで、どれほどの人が納得できるでしょうか。物理を習わない子どもでも不思議に思うでしょう。
第4エンジン及びその部品が一本から松から稜線U字溝にかけて散乱し、U字溝を越えた墜落現場付近の第1、2、3エンジンの残骸と離れた場所に散乱していることは、一本から松に接触する以前に第4エンジンが外部から何らかのダメージを受けたことを示しています。そのダメージを与えたものとは、CVRやDFDRからのエンジン不調を示すデータが示されていないのですから、内部ではなく外部からのもの、すなわちミサイル以外には考えられません。